「復元船が来てる」──聞いたその翌朝

「復元船が来てる」。昨晩そんな話を耳にし、5月9日早朝、曇り空の鞆の浦へ。
常夜灯にたどりついたときに、ちょうど出港がはじまっていました。
淀姫神社を背に、いざ出港

大阪・関西万博にむけて舵を切り、帆を張って進む朝鮮通信使の復元船。

その姿を、日東第一形勝の中心にある弁天島を背景に撮ったとき、200年以上前に似たような場面をみていたひとがいるはずの鞆の浦に思いを馳せてみました。
鞆の浦と“海の外交”
江戸時代、船が国をつなぎ、海が人の交易路だったころ、朝鮮王朝の使節団はこの町に何度も立ち寄っていました。
列車や車のない時代、月の満ち欠けから潮を読み、風を待つ「潮待ちの港」こそが、当時最先端の外交拠点だったのです。
文化の交差点、ふたたび注目の場へ

そんな鞆の浦の港が、復元船のおかげで少しばかり注目を集めています。
観光という言葉だけでは語りきれない、文化の交差点としてのポテンシャル。
復元船がここに寄港した事実は、地元のひと以外にはあまり知られてはいない“海の外交都市”という記憶を浮かび上がらせてくれます。
出港の朝がくれた気づき

復元船の寄港が一過性の話題に終わるのではなく、この地域の魅力を見つめ直すきっかけとなればいいのでは思っています。
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